YouTube名演探訪シリーズ#1 - プロコフィエフ/ピアノソナタ第8番

 前回の記事ではYouTubeでクラシックの演奏を効率よく探す方法を書いた。ただ、本当にいろいろな演奏があるので、何が良かったか、あるいは良くなかったか、だんだん覚えきれなくなってくる。どう検索したら出てきたかなども忘れてしまうことが多い。そこで、自分の好きな曲の演奏をYouTubeでひたすら探してまとめる記事を(自分のためにも)書こうと思い至った。名付けて"YouTube名演探訪"。丸付き数字ではなく#で番号を書いたのは50回を超えてやるという意志の表れである。主に、そこまで大量の動画が載っていない、比較的マイナーな曲を扱う予定である。第9の聴き比べなんて無理。長いし、怖いオタクが多い。

第一回はセルゲイ・プロコフィエフピアノソナタ第8番。プロコは大好きな作曲家で、ロミジュリやヴァイオリン協奏曲なんかもよく聴くのだが、ピアノソナタは、優れたピアニストでもあったプロコの才能を一番濃密に味わえる気がして特に愛聴している。好きな順だと今のところ879564321といったところだろうか。他のナンバーも今後登場するかもしれないが、初回は一番好きな8番を扱うことにした。おそらくはこの曲が好きな人の大半と同じく、3楽章の疾走感が一番の魅力だと思うが、2楽章の牧歌的な旋律の良さもプロコならではだし、1楽章の陰影の深さも、わかってきたような、わかってないような…

そして、これも知っている人は知っているだろうが3楽章のコーダがどちゃくそ難しい。その割に7番ほどの演奏効果がないので、それが8番が敬遠されている理由だろうか。ここだけが8番ではないが、全曲を締めくくる部分で、ちゃんと弾けてればとてもカッコいいので、弾けてない演奏は評価が下がりがち。というかこの企画自体、クソ真面目にやったら超時間かかるので、減点方式になる部分はあるかも。では、聴き比べ。なお、youtube公式プレイリストがあるものはそれを優先させ、動画埋め込みの都合で最初に別の曲が来てしまっているものは何曲目からがこの曲かわかるよう注をつけた。

アンドレイ・ガヴリーロフ

www.youtube.com(5曲目〜)

録音 ★★★★☆

技術 ★★★★★★

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★★★

最初に聴いたこの曲の演奏。かなりの快速テンポ。超絶技巧で鳴らした人で指回しには定評があるようだが、それにしてもミスタッチがほとんどないので相当練習した、というか思い入れのある曲なんじゃないだろうか。冒頭のアルペジオの1音目の残響が3音目まで残るようなこのテンポはそれだけで曲のイメージをまったく変えてしまうほどの鮮やかな効果があり、クリスピーなタッチと相俟ってプロコフィエフの音並びの楽しさを余す所なく伝えてくれる。ライナーノーツのガヴリーロフ本人の解説にも、「おそらく、プロコフィエフの最も偉大なピアノ・ソナタであるこの作品」との記述がある。私はまったくピアノが弾けないが、他の演奏を聴いた限りだと、たぶんそれくらいの気合がないとこんな凄まじい演奏はできない。ただ、このことが裏付けるのは、知名度的には7番に(もしかしたら6番にも?)劣るこの曲をろくに練習しないで戦争ソナタ3部作(あるいは全集)として録音する多くのピアニストの存在であり、彼らには猛省を促したい。

いくらか問題点もある。まず、カップリングされている7番でもそうだがこの人は指が回りすぎるのに任せて無計画にテンポ設定をしてしまう癖があり、終盤の難所に微妙に加速しながら突っ込んでいき最大の難所で一瞬テンポが落ちるという非常に勿体ないことをやらかす。だったら最初からそのままのテンポでやっても十分速いのに…

また、ライナーノーツでこのピアノソナタの内面的な悲劇性に言及している割に、そういうところでの感情表現が浅い気がする。

それでもこの情熱と圧倒的な迫力(打鍵の強さも世界有数レベルと思われ)は一聴に値する。

上記は90年代の録音だが、1978年の演奏もある。

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★★★★

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★★★

音質はやや悪いが、解釈は概ねそのままで、しかもテンポが不自然に落ちる場所もないので、こっちのほうがいい演奏なのかも。

また、動画もyoutubeにある。

www.youtube.com

もう一回り御年を重ねたころの演奏も(3楽章のみ)。

https://www.youtube.com/watch?v=7VrjWaP9KXs

(なぜかサムネイルが表示されなかった)

後者ではさすがにミスもあるが、いずれも迫力満点で、「指ってこんなに回るんだ…」という謎の感動がある。あと手がめっちゃでかい。この人、手が大きいピアニストとしても有名なようで、ドからソまでとかドからラまで(!)届くという話も見かけた。

なお、コーダ前でテンポを上げるのも最終盤で少し落ちるのもやっぱり何も変わってなくて笑ってしまう。19歳のガヴリーロフに優勝を与えたチャイコフスキー国際コンクールの審査員も今頃呆れているんじゃないだろうか。

 

 ウラディーミル・オフチニコフ

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★★★

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★★☆
これも、終楽章がそこそこ速くてコーダまで持ちこたえた数少ない演奏の一つ。もう少し粒立ってて音が濁らない方が好きかな…。中間部の行進曲調のところは遅め。さすがにガヴリーロフと比べると遅いところの歌い方も丁寧だが、あくまで「ガヴリーロフと比べると」、である。

 

ウラディーミル・アシュケナージ

www.youtube.com

録音 ★★★★☆

技術 ★★★★★

表現 ★★★★★

総合 ★★★★★

この人は指揮でも評価を得ており、プロコフィエフにおいてもかなり信用できる奏者の一人である。少し手が小さいらしく、10度だとグリッサンドになっている箇所もあるが、9度以下の場所では苦しさを感じさせずに弾いていく。細かい強弱の付け方などもやはり上の2つと比べるとセンスがあるし、対位法の処理も明確で、確かな教養を感じる。動画としても楽譜付きでわかりやすくて良い。この動画でプロコフィエフの音の少なさを知ったので個人的には思い入れがある。

ボリス・ベルマン

www.youtube.com知名度がよくわからないが、プロコフィエフのピアノ・ソナタ全集出してる人。3楽章はそれほど速くないし、終盤でテンポは落ちてしまうが、落とし方がそこまで不自然ではなく、遅いかわりにそこそこちゃんと弾けてはいる。1楽章も、速いところは概ねそういう方針っぽい。そんなに悪くない。楽譜ついてるし。

録音 ★★★★☆

技術 ★★★★★

表現 ★★★★★

総合 ★★★★★

 

エフゲニー・キーシン

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★★★

表現 ★★★★☆

総合 ★★★★☆

動画。相変わらず髪の毛多い。1楽章のゆったりして深みのある音色から引き込まれる。個人的に最近遅い演奏全般が好きなのもあるかも。録音はちょっとフォルテで歪みが出る気もする。まあ映像なんてそんなもんだよね(偏見)。

3楽章は最初からけっこう良いテンポで弾き始める。途中の転調エモいところ遅くするの、気持ちはすごくわかるんだけどここはインテンポのほうがかっこよくない?まあなんというか全体を通して細かい仕掛けが多くて、けっこうハマってるのもある。最後のテンポも割と持ってるしライヴでこれならブラヴォーでしょう。

 

ボリス・ギルトブルグ

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★☆☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★☆☆

弾き姿からなんとなく想像できる通りのヘンテコな演奏。どう見てもフォルテって書いてある所をピアノで弾く。技術はそこそこ追いついてるかな。だけどやっぱり3楽章のあそこは遅くなるか…

スタジオ録音もあった。

www.youtube.com

(8曲目~)

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★★☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★☆☆

ちょっとミスは減ったのかな…ほかは同じ。音響が完全に風呂場。

 

マッティ・レカッリオ

www.youtube.com

録音 ★★★★★

技術 ★★★★☆

表現 ★★☆☆☆

総合 ★★★☆☆

あそこは遅くなるか…。もとのテンポだけならガヴリーロフより速いのだが。あまりプロコの和声に共感してない弾き方な気がして好きになれない。ヤブロンスキー的な。

 

エリソ・ヴィルサラーゼ

www.youtube.com

録音 ★★★★☆

技術 ★★☆☆☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★☆☆

あそこは遅くなった上に弾けないか…。

 

ティーブン・デ・グローテ

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★★☆

表現 ★★★★☆

総合 ★★★★☆

知らない人だけど3楽章はオフチニコフよりちょっとミスが多いかなというくらいで、健闘している。録音はあまりよくないが、技術としての音色はまあまあ。

 

アレクサンドル・メルニコフ

www.youtube.com

録音 ★★★★★

技術 ★★★★☆

表現 ★★★★★

総合 ★★★★★

プロコフィエフのオタク、っぽい弾き方が良い。その意図を全て表現できるだけの技術があるかというと怪しい部分もたまに。

 

James Giles

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★☆☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★☆☆

そもそも日本語のカタカナ読みが出てこないという知名度。凡庸な演奏。

  

グリゴリー・ソコロフ

www.youtube.com(6曲目〜)

録音 ★★☆☆☆

技術 ★★☆☆☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★☆☆☆

音質が悪いから古い録音なのかと思ったら、ただ音質が悪いだけだった。たぶん演奏もあんまりよくない。

 

コンスタンチン・シャムライ

www.youtube.com(9曲目〜)

録音 ★★★☆☆

技術 ★★☆☆☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★☆☆☆

テンポは遅いというわけではないがミスタッチが多く、凡庸以下の演奏。録音もイマイチきれいじゃない。2楽章はまだマシ。

 

ユジャ・ワン

www.youtube.com

録音 ★★★★☆

技術 ★★★★☆

表現 ★★☆☆☆

総合 ★★★☆☆

ライヴ映像で、CD化もされている。最近の指回し系ピアニストである。youtubeにあったコンチェルトの2, 3番などは素晴らしい迫力だったので当然3楽章に期待が高まったが、何の変哲もない遅いテンポでがっかり。ユジャ・ワンであり、ユジャ・ワンでしかないからには、もっと勢いに任せて突っ走ってほしかった。いかにも速く弾いているかのように楽しそうな表情をしているところもマイナスポイント。今後に期待。

 

ケイト・リュウ

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★★☆

表現 ★★★★★

総合 ★★★★☆

わりとうまかった。3楽章はやっぱりライブだからミスもあるのだが、テンポ感がぶれないからグダってる感じがしないし、ペダリングが上手くて、迫力と音が濁ることのトレードオフにうまく折り合いをつけている。これでミスがなかったらめっちゃカッコいい!と思わせる演奏ではある(そういう演奏自体が割と貴重)。いつかCDを出してほしい。

 

 

サラ・ダネシュパー

https://www.youtube.com/watch?v=Ch4iDssZXPY

録音 ★★☆☆☆

技術 ★★☆☆☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★☆☆☆

知らない人。ライヴ映像。この記事書いてるうちにだんだんミスに寛容になってきちゃったけど冷静に考えて弾けてない。ライヴで(じゃなくてもそうだけど)この曲を弾くのはよほど上手くない限りやめたほうが良い。

 

以下は古めの録音。

スタニスラフ・ネイガウス

www.youtube.com

録音 ★★☆☆☆

技術 ★★☆☆☆

表現 ★★★☆☆

総合 ★★★☆☆

この人の父親のゲンリヒ・ネイガウスが以下で紹介するギレリスとリヒテルの師匠らしいです。

テンポがかなり速い。1も3も。3は正直弾けてないが、ガヴリーロフに匹敵するかちょっと速いくらいの速度。まあ60年代ですから…。

 

エミール・ギレリス

www.youtube.com

録音 ★★★★☆

技術 ★★★★☆

表現 ★★★★☆

総合 ★★★★☆

この曲の初演者。技術ではこんにちの演奏にやや劣る…と思いきや最近の演奏家が真面目に練習しないせいでそんなこともない、というか普通にギレリスが上手い。音質も良い。起伏に富み、不思議な緊張感が支配している。1楽章など特に良い。やはりこの曲の戦争ソナタたる背景を身を以て知っている世代ということだろうか。

 

スヴャトスラフ・リヒテル

www.youtube.com

録音 ★★★☆☆

技術 ★★★★☆

表現 ★★★★☆

総合 ★★★★☆

最後に、プロコフィエフのピアノ・ソナタを語る上では絶対に外せないこの人の演奏を聴いてみよう。完成したピアノソナタ9曲のうち1~6番の初演は作曲者自身、8番はさきほどのギレリスで、残る7, 9がこのリヒテルである。

ああやっぱり冒頭のこの冷たい音(録音のせいもあるだろうが)、リヒテルだなあ…2楽章は優しい感じもする。

3楽章も割といいテンポ。7小節目の音が小さめなのとか、ちょっと最近の演奏と違う。ミスはあるけど、こういうハッキリした音で、ごまかさないピアニストは好き。古臭い拍手の音がまた趣がある。

 

全体として、おすすめはガヴリーロフ、アシュケナージキーシン、メルニコフもまあまあだしギレリスとリヒテルは聴いて損はない。3楽章ならオフチニコフも。

まじで、ダメな演奏聴くと音間違って覚えそうなので注意。

 

※追記

www.youtube.com

録音 ★★★★☆

技術 ★★★★★

表現 ★★★★★

総合 ★★★★★★

この記事を書いたあとに素晴らしい演奏に出会ったので追記しておきます。ユーリ・エゴロフというソ連出身のピアニストで、残念ながら若くして亡くなってしまったのですが、なんとこの8番のリサイタル映像が残っています。3楽章の前半で一瞬楽譜が飛んだような不自然な間があるなど、ミスもありますが、それでもあらゆる面で正統派・超一流の演奏だと思います。安定したリズム感、細かい音符での明確なタッチ、フォルテでも落ち着きのある音色、そしてペダルまで、(まあ僕自身ピアノはできないので詳しいことはわからないのですが、)この曲をこれだけ自然に聴かせるのは並大抵のことではないはずです。

演奏はa Life in Musicという11枚入りBoxのDVD(これ以外の10枚はCD)に収録されています(他にもあるかもしれませんが)。YoutubeにはホワイトノイズがありますがDVDには(ほぼ)ありません。それ以外は概ね同程度の音質だと思います。よく聴くと例えば3楽章開始直前などで直後の音のデータがズレて入ってしまっているのがわかると思うのですが、これはDVDでもそのままです。

総評として、今までのこの曲の演奏では一番か、そうでなくてもかなり上位に入ると思いますし、ホワイトノイズ無しで聴きたい方はこの曲のためだけに買って損はないと思います。

(なんかここだけ敬体になってしまった…)